動物愛護関連の情報と、独学ピアノの記録。

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小説・エリートサラリーマン第4回(全5回)

 

松田広義。松田小夜子の1人息子。彼は父親を知らない。彼が生まれてすぐに父は家を出て行ったのだから。父はどこぞやのヤクザの下っ端だったという噂があったが、真相は定かではない。母の小夜子は親戚に借金までして苦労して彼を育てた。小夜子の家ももともと貧しかった上に、小夜子の母は病気で入退院を繰り返していたのだ。そんな中、親戚の中でも息子のことをチンピラの息子だと言われたり、なかなか返せなかった借金を早く返すようにと嫌味を言われ続けていた母は、広義にそれを気付かれまいとして、彼の前ではいつも笑顔であった。
 彼は、母が時々部屋で1人泣いているのを見たことがあった。広義が小学生になったある日のことである。広義と同じクラスで、広義の従兄弟にあたる和紀が家の前に来て「チンピラー」とはやし立てたのである。それを聞いて、家の前でサッカーボールで遊んでいた広義は、思い切り和紀に向かってボールを蹴った。それは和紀の顔面に当たり、彼は鼻血を出して倒れた。
 和紀の母は激怒した。そして、謝罪を求めに来た際にいつまでも嫌味を言い続け、ついに広義の前で、「チンピラの息子だから態度も頭も悪いんでしょ。借金返しなよ、親戚一同の恥だわ。」とまで言ったのである。母親は涙をこらえきれなかった。広義が、ごめんなさいと謝ると、無理して笑顔を作りながらも流れ落ちる涙を止めることは出来なかった。
 広義は猛勉強した。その日から。追いかけてくる「恥」という言葉を振り払うかのように。そして、次の算数のテストで100点を取ったのだった。クラスで1人。息子の成績を鼻にかけていた和紀の母は、それはまぐれだと言いまわった。しかし、広義の好成績は続く。そしてとうとう、学年でも評判の秀才とまで言われるようになると、和紀の母は息子の成績の良し悪しについて触れることが出来なくなった。

 母さん、そして母さんの愛した父さんも僕を自慢して歩いて下さい。恥なんかじゃありません。あなた方が恥だと感じたことは、必ず僕が消して見せます。彼は、家族のトロフィーのように自らを飾り付けた。学業成績、ファッション、ヘアスタイル、笑顔、表情、動き、話し方。全てを優雅でスマートかつ知的に、そしてさわやかに飾りたてる。皆が振り返る。やがて誰も彼を笑えないどころか一目置くようになった。
 テストの点数はおろか、スポーツの成績、服や持ち物の趣味のよさ、バレンタインデーのチョコレートの数まで、彼の右に出るものはいなかった。しかし、それは、全てに勝たねばならないという無意識の強迫観念と、それによる努力の結果だった。


 まぶたの裏側、星がちらつく。薄闇の中、星がまたたく。俺の星はどこだろう……どれだったのだろう……薄闇の中さまよい歩く。
「広義、広義!」
誰かの呼ぶ声がする。妻の声?
あれ?仕事をしていたはずだったが……。彼は自分のまぶたが重く感じることに気が付いた。こんなことをしている時ではない!彼は、重さに逆らって目を開こうとする。やっと開かれた目の前には、眼鏡をかけた見知らぬ男の顔があった。よく見ると、その男は白衣を着ているではないか。医者?そして、その隣では妻が心配そうな表情でこちらを見つめている。
「気がつかれましたね。」
白衣の男は、彼を見て淡々と言った。
「極度の疲労とストレスにより、全身の毛細血管の破裂を引き起こしています。胃潰瘍も併発していますね。以前から疲れを感じてはいませんでしたか?」
広義は、自分が今、病院のベッドの上にいて、目の前の男が医者であるということを認識すると、答えた。
「はい、多少。」
多少のはずはないのだが、疲れた態度を人前で見せることが出来ない彼のいつもの癖である。医者は続けた。
「全治2ヶ月はかかります。場合によってはもう少しかかるかもしれませんが様子を見ましょう。まず1ヶ月は入院ですね。」
広義は諦めたかのようにため息をついた。2ヶ月も治らないとなれば、仕事はどうなるか分からない。少なくとも来年までに課長になるのは絶望だろう。広義はぼんやりしていた。
 病室には検査器具が持ち込まれ、まず血圧が測られた。血圧の最低値、最高値とともに多少高いもののほぼ正常値であった。
「職場高血圧と呼ばれるものです。職場での過度なストレスにより、血圧が上昇する症状です。」
医者の説明が耳に入ってくる。しかし、広義はぼんやりとしたままだった。

 広義の妻の麗美が、病院に広義の着替えなどの荷物を運び、入院の準備が終わる頃には面会時間も終わろうとしていた。麗美が、
「あなたのお母様には連絡しておいたわよ。新幹線で向かうということだから、明日の朝には来るそうよ。」
と言うと、彼はぼんやりしたまま小さくうなづいた。日が暮れかけていた。
「カーテン閉めておく?」とたずねる麗美に広義は、
「いや、開けておいて。」と言い、少しの間の後に、
「することもないし、星でも見ながら眠ろうかなあ。」
とつぶやくように言った。麗美は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに少し微笑んで、
「めずらしいじゃない。」と返した。
 麗美が病室を後にすると、広義は、星の輝きだした窓の外を眺めた。少しずつ辺りが暗くなる。夜空に、一番星が輝き出す。そして、1つ、2つ、3つ周囲の星が輝き始める。宵の明星は周囲の星を明るく導くように、よりいっそう明るくなる。広義は、ぼんやりと星を見つめながら、まるで子供の頃にそうしたのを思い出したかのように、右手の人差し指で星を指差した。震える手で。そしてつぶやいた。
「サラリーマンとしての俺。課長補佐としての俺。家庭の父親としての俺。生徒会長だった俺。陸上競技のインターハイの代表選手だった俺……ただ勝ってきた、働いてきた……」
そして次に出てきた言葉は、普段の彼ならまず口にしない言葉だった。
「俺の人生これでいいのか……ただ働いている、出世もした、来年は課長になって……これでよかったのか、まだ他に何かあったんじゃないかな……」
その彼の姿は儚く、夜空に消え入りそうに見えた。毛細血管が切れ斑点を残したままの右腕で、宙をさまよう彼の指先。だんだん意識がもうろうとしてくる。
 
 ただ勝ってきた がむしゃらに勝ってきた 

 幸せになれると信じて いや、それしかなかった 

 一番だよ 誰にも負けないよ 

 ねえ僕を見て 

 皆が僕を振り返るよ 星をみるように目を輝かせて 皆が振り向くんだ 

 母さん 父さん もう大丈夫だよ 恥ずかしくないよ 

 顔を上げて 悲しい顔をしないで 

 僕が家族の星になるから 誰よりも輝くから 

 

 ねえ 僕を見て 僕を愛して

 

「そうだよ 俺は 一流企業の エリートサラリーマン……」

彼はそのままぐったりと力尽きたように目を瞑り、眠りに落ちていった。


   夜空に輝く一番星  暗闇照らす一番星
   あの星になりたくて あの星になりたくて

 


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