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「死に至る病」解説と感想

「死に至る病」 セーレン・キルケゴール著 解説と感想

 

1.罪とは何か

 

 僕は、この上下段に分かれていて125ページの本「死に至る病」という哲学書を、1ページにつき10~15分かけて読んだ。この本は、1文1文の記述が人間性の、そして各々の人間のどのような部分を指しているのかを「内省」したり今までの経験を想い巡らせながら読む本だと僕は思った。この本には日本人にはなじみにくいキーワードがいくつか登場する。それらの言葉によるイメージから想像して引く人もいるかもしれないので最初に説明しておこう。日本には宗教がほぼ存在しないと言ってもいいだろう。私利私欲を肥やすための新興宗教が蔓延し、危険を伴ったこともあるために、逆に「宗教とか神とか聞くだけで怖がって大騒ぎする宗教」が日本に蔓延するかのようになってしまった。しかし、そのような言葉のイメージに惑わされずに、キルケゴールが言わんとするところの「神」とは、そして「罪」とは何かを想ってみる。耳を、いや「心」を傾けるのだ。言葉の単語そのものは同じでも、使い手によって大きく意味は違ってくるものだ。

 「罪とは何ぞや」、これを簡単な例で説明すれば、誰もいないところに金の入った財布が落ちていたとしよう。それを持ち去ってもばれなければ確かに「法律」では罪に問われない。では、法律ないところに罪はないというのか?キルケゴール言うところの罪の対義語は法律ではない。人が決めた立法ではない。ではどういうものか。人は自らの良心と罪悪感というものを持つことが出来る。心から反省する、心改める、立ちなおる、かつての罪に心を痛め悔恨の涙を流すことも出来るのはそのためである。それは理屈ではなければ、また感情そのものとも違ったものではないかと思う。利己的になりえる部分とは違ったものではないのだろうか。

 

2.実存と単独者

 

 キルケゴールは「実存主義」に分類されている。キルケゴールは「人間は神の前に立つ単独者」だと言った。ここで、実存と単独者の意味について解説したいと思う。ニーチェ、サルトル、小説家ではカミュ、ドフトエスフキーなどと共に分類される実存主義とは何か。このことはこの後解説する「単独者」という言葉の意味を理解して頂ければ、○○主義を振りかざす「単独者」というのは矛盾しているためにありえないということが、おのずと理解されることでもあるだろうが、キルケゴールが自分は実存主義などと言ったわけではない。それは後々に付けられた名称であるに過ぎない。

 「実存主義」

”そこにおいては「私(現実に生きている”私”)」は死を究極点とする様々な事象の関連性の中に浮かび上がる現象として捉えられ、私の生を他者と取り替えることのできない貴重なものとして充実させることこそが、人生の意味であるとされた。そして充実させるためには関連性の中で他者や自分自身を非道具的なものとして尊重することが大事だと説かれた。”

 Wikipediaでは上記のような説明があった。ここで、このようなコピーではなく僕は「実存して」説明させて頂こう。実存とは、自己自身と自己自身の在り方を真摯に見つめ、自己自身を自己自身として受け入れ、また自己として誇り高く在れるような選択をしていくことだと僕は思った。

 

 次に、「人間は神の前に立つ単独者」について。日本には、「八百万(やおよろず)の神」というものがあるように、聖書ではこの世界は「神」が創ったものとされている。何をもいとわず生命を与えてくれる植物達、そして自然、光。これらの無償の愛の前に立つとき、その無償の愛の前で人が自己を省みる。日本人に分かりやすい形で、「神」の前に立つというのを分かりやすく言えばそういうことだと思った。自己自身の中の光と、それによる罪の意識の自覚によって人は目覚めるのだ。”自己自身と、その中に降り注いでくる光に恥じぬ生き方を選択していく”こと。また、人間の利己的な欲望を「原罪」(人の罪の原型、聖書では「失楽園」の理由として表されている。ギリシャ神話では「パンドラの箱」であろう。)として各々が受け止めていくということであると思う。僕もまた、自己とその中の光に問おう、原罪を含んだ罪深き自己を受け止め、与えられた生命を与えられたものとして大切にしながら、人として誇り高く生きられるような選択をしているかどうか、と。

 

あとがき

僕が書いた「永遠の孤独」という詩はこの本を読むより先でした。あの詩をひらめいたときに、まだ読んだことのなかったキルケゴールの「人間は神の前に立つ単独者」という言葉(読んではなくてもその言葉は知っていました)が同時に浮かんだのです。それで前々から気になっていたキルケゴールを読んでみようという気になったのでした。

コメント

久しぶりに記事を書けたが、あと1週間は忙しい。
記事を読むのだけで精一杯の日々。
すごく深くてとても興味深い内容・・
だけど、いたってシンプルなのかもしれないって思った。
私も原罪を含んだ罪深き自己を受け止め、与えられた生命を与えられたものとして大切にしながら、人として誇り高く生きてゆきたいって心から思いました。( 。u u。)
庵さん 難しすぎる・・・・(>o<")
ただ 罪とは法律や他人が裁くのではなく、自分が自分を裁くものと思う時が有ります。
人の罪の自覚を促す。法と神と他者と自分。
人によってどれに恥じたくないかという比重は異なるでしょうが、
僕は自分を自分に誇れるように生きてゆきたいですね。
自分の中にあるはずの光すら見失ってしまいそうな時があります、与えられた命をいとおしむことを忘れてはいけませんね 誇れる自分になれるように、まず強くなりたいと思いました
ことさん
うんうん、そうだと思う。深いけれどそれだけにとてもシンプルなのだと思える。
素敵な思いだと思います。
らぶりくさん
難しいといっておられますが、心で分かっておられると感じます。らぶりくさんの出した答え、そうだなあと思ったから。
Arcさん
なるほど、確かに法も他者も罪の自覚をうながすきっかけになりますね。
うん、素敵な思いだと思います。
ふらさん
そうですね。与えられた命へのいとおしみ、自分自身に対してもなんですよね。
うん、素敵な思いですね。
なんだかいい言葉が聞けたなあと思いました。とてもしんみりしました。

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