動物愛護関連の情報と、独学ピアノの記録。

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先代犬には関心が少なくて

 以前も犬を飼っていた。柴だった。顔がでかくて脚が短くて、ぼってりとした体のけたたましく吠える犬。凪とは正反対の外観と性質。そして、その柴は警戒心が強いから、家で犬を繋いでいるリードを放されるいたずらがあったとき、ひとりでどこかに出かけていたが、どこに行っても事故にあうこともなくいつの間にか帰って来る犬だった。現在飼っている凪は、何でも出来そうな犬だが、ひとりでの徘徊は誰か・何かに気を取られると他への注意力が欠如し、事故に遭いかねない。つまり、能力まで両者には共通点がないと言えるくらいだった。その柴犬は父が選んで連れてきた犬だった。

 

 ただ、1箇所、先代犬とは元々似ても似つかなかったはずの凪のしっぽがなぜか先代の柴みたいにゆるく巻いてきて、先代犬を思い出させてしまうのだ。最初は細くてまっすぐしていたはずの凪のしっぽだったのに。理由はこの後に書くが、最初はしっぽが先代犬に似るのが嫌だった。だけど、これも運命なのかもしれない。運命なんて言葉は他力で嫌いだけど、犬の出てくる小説を書いた後に凪に出会ったあたりから、あまりにも偶然は重なり過ぎている。

 

 先代の柴。僕は子供だったということもあり、その頃はネットも浸透していなかったから、誰も本当には犬のしつけの仕方というものを知らないままに、その犬は成犬になり老犬になり、17年生きて亡くなった。僕はその犬を飼ったことに関して、犬を好きになることはなかった。だけど、なんだかそのこと、先代犬に無関心でしつけなかったことを後悔するくらいになった。凪のためにいろんなサイトで犬のことを勉強し、どんな犬でもしつけによって変わることを知ったからである。実際に、元気だがジャックラッセルにしては性格の穏やかな凪どころではなく、元気な上に気性の激しいジャックラッセルを毎日のたゆまぬ努力と鍛錬と研究によってしつけられた方のサイトにも出会い、その懸命さと熱心さ、犬の困った行動から不要犬にされてしまう犬達を減らそうという思いからの丁寧にまとめられた寄稿には感銘を覚えた。

http://golog.nifty.com/feature/jrt/

 

 不要犬の多くなっている現実は悲しい。犬の「問題行動」などと呼ぶが、それらは全て飼い主が責任を持つことである。飼い主は、飼うと決めたときから最後まで自分の犬を責任を持って飼うべきだと思う。また、「問題行動」「無駄吠え」という言葉もあるが、それは人間サイドの言葉で、犬側に立てば理由なく何か行動を起こしたり吠えているのでは決してない。何か脅えさせる原因などがあるからである。恐れなくてもいいこと、されては困ること、それは1つ1つ時間をかけて教えていくことである。

 

 先代の柴のことはダメな犬と決め付けていたというほどでもない、最低限の世話以外での関心自体があまりなかったのだから。その犬は凪みたいにこっちを見つめてアイコンタクトすることもなかった。だけど、アイコンタクトからして身に付けることが可能だということも知った。

 

 犬が大好きになったこと、それにつれて犬に関しての知識が深くなったことは凪のおかげである。今なら、やる気があるので、あの先代犬でもしつけなおすことが可能だと思う。まだまだスキルは足りないだろうけど、これからもっと試行錯誤を繰り替えしていけば。あの、吠えすぎるくらい吠える癖も。良きパートナーにだってなれたかもしれない。もういないけれど。互いに無関心のままにいなくなってしまったけれど。

 

 凪は、語りかけるような瞳で一生懸命にこちらを見つめることでたくさんのことを教えてくれた。いつでも見つめていて傍にくっついていて、構って構ってと甘えてくる可愛い凪。凪は犬そのものについて夢中にさせるほどの魅力を持った犬だったのである。もっと分かって欲しい、知って欲しいと凪が口にしたわけではないが、構って欲しがる凪のために、どういう関わり方が一番いいのか情報を集めたり、いろいろ模索する日々になっていた。そして、凪のおかげで、先代の犬への思いも変わった。もっとより良く関われたのだと。

 

 この世にダメな犬・いらない犬なんていないのだ。人間にもともとダメな人間・いらない人間がいないという言葉は世間には受け入れられやすいけれど、犬に関してのほうがよりそう思う。人間は自らの意思で凶悪犯罪を犯すこともあるが、動物は悪意そのものを持たない綺麗な心を持っている。そんな動物に対しての人の関わり方はどうだろう。人が大好きな凪。凪は今日もひたすら人を信用した瞳でじっと見つめている。一度は誰かが凪を捨てたというのに、無垢な信頼心を持った瞳で。

コメント

いつも庵さんの記事を読んで思うんだけど、「めぐりあわせ」ってあるんじゃないかな。
今のようなネットでの情報がいきかい、たくさんの犬に関する情報を手に入れることが可能な、中で凪を捨てた方がいた。
その少し前・・・庵さんは小説を書き上げた。
運命という言葉は嫌かもしれないけど・・・なんだかめぐり合わせのような気がしてならないよ。

凪は今日もひたすら人を信用した瞳でじっと見つめている。一度は誰かが凪を捨てたというのに、無垢な信頼心を持った瞳で。>そうなの。お写真の凪はいつも私のほうをじっとみてるよ。私を信頼した眼でねw
ほんとに、これも何かの縁なんでしょうね^^ 出会いは大切にしないといけませんよね、一つの出会いがいろいろな意味でこんなにも大きくかかわってくるんですもの!
気付く気付かないは本人次第なのかもしれませんが(笑
これが犬から教わるってことなんだよね^^ つまり、犬を知ろうという気持ち^^
犬を知ろうとすれば自分の今の状態に気付くことができる^^

そう!ダメな犬なんていない。 問題行動と評してるのは人間の無知さが付けた
勝手(都合のよい)な言葉にすぎないだけだね。 
生きている物に 無駄なものダメなもの要らないものなんて無いのだよね。
小さい時は可愛い可愛いと育て、少し大きくなると捨てる・・・・(ーー;)
もう少し縁についても考えて欲しい気持です。
まったくですなぁ。
人間ってやつぁ、ホント、どうしたもんでしょね。
自分たち中心に世界が回ってると思い込みすぎてるのがまずいのでしょうかねぇ。。
pink
たくさんの情報がある中で、また、里親を探そうという意欲もなく捨てる人もいるということ。どこまでいってもいいかげんな人はいいかげんなのでしょうね。ただ、めぐりあわせだったとしても、捨てた人がいたという現実があったからうちに来たわけで、そこを考えるといたたまれないものがあります、捨てられる生き物の多い現実はまだまだ改善されそうにないという。

ふらさん
確かに、この出会いは自分にとって人生の多くのことを変えたと思います。その中でも一番なのが犬に対する気持ちですね。

くっきぃさん
犬は行動に嘘のない素直な生き物だから対するこちらも深く関わるほどに素の気持ちになりますね。痛々しくも飾れずに。

らぶりくさん
育っていくにつれて互いを知り、可愛くなっていくと思うのに、大きくなると可愛くないというのは本当の愛情ではないですね。

BJさん
しかも、その犬の「問題行動」などの話にしても他の生き物達の上に立っているかのような言い方をしますよね。傲慢だと思います。能力の違いそのものはあっても、「生命として」どちらが優れているというようなことはないというのに。

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