ミクシ最後の記事として、今までに一度も話していなかったことを書く。
僕はかつて、電話相談のボランティアをやっていた。人に言えない悩みがあったり、死にたいと思う人達から電話を受け、話を聴くというボランティアである。それになるために月2回くらい、1年近くにわたっての講義を受けていた。そういうボランティアをする人は、老後に「何かボランティアでも」と思ってすることが多いからか、学生の僕は最年少だった。
人の心の痛みというもの、自分自身の中にもあるそれ、自殺したいと思うことはけっして特殊なことでないと思っていたし、自分の経験と、そこから感じたことも生かしていければと思っていたからである。
講習を全て受け、ボランティア要員になり、1時間かけて毎週、当番の時間にそこに通った。
それと同時に、英語の勉強を進め、将来は、留学して臨床心理士の道に進もうと思っていた。大学の勉強を1日7時間以上、自力で英語の勉強を1日5時間以上、とにかく起きているときはずっと勉強し続け、留学の準備が整うと、僕はボランティアを止め、渡米した。しかし、そこでの大学進学が上手くいかず、いったん帰国することになった。
帰国してしばらくは、休みながら、今後どうするかを考えようと、ネット麻雀でもやってみた。そして、1つは「心の話」を語る目的で、ブログをはじめた。他者の心というのは分からないから、サンプルは自分の心であった。
家庭環境の話も出てくるが、匿名のネットであるために、個人が特定されることがないため、そういう話も語りやすいところがネットの長所でもあった。しかし、過去の自分と、心の闇の話を語るにつけ、なぜか説教がくることになった。どうやら、僕自身が過去のことを引きずっていると受け取ったようだった。それでだんだん面倒くさくなって、そういうことを書くのを止めてしまった。今思えば、主人公を「山田君」にでもすればよかったのかもしれなかった。
人には自分の経歴は話さなかった。「これだけ頑張っています。頑張ってきました。」系の話をするのは非常に苦手だし、別に頑張っているわけでもなく、自然に行動していたことだったからである。そのため、「お前は自分に甘くて何もしていないだろう。」と言われたこともあった。見てないし、知らないのによくそういうことを言えると思い、その人とはそれ以来関わらないようにした。
その頃、口の堅いリアルの友達に、ブログの存在を教えたことがあった。友達は、ブログ付き合いの人たちとは逆に、僕の経歴しか知らないわけである。友達は僕の過去の話などを読んで、驚いてショックを受けたという。しかし、別にことさらに昔の話を隠していたわけではなかった。リアルの人付き合いで、そういうことを話す機会は、そんなに多いものではないのが現実だと思う。
そして、凪(なぎ)と出会った。そこから僕は、動物の問題をたくさん知ることになる。
そこで知ったのは、動物は人間以上にこの社会で理不尽な扱いであり、選択肢のない悲惨な現実を強いられ、助けようとするものの存在さえ少ないということだった。僕は、臨床心理の道から離れ、動物問題に強い関心を持った。
よく、「動物愛護の人は、人間のことなど考えていない。動物>人間だ。」といやみを言う人がいるが、それも何も知らないで、よくそういうことを言える、とあきれてしまう。僕は、人間の心の問題に関わってきていて、むしろそっちが専門分野になろうとしていたところであった。そして、多くの動物愛護の人は、思いやりの心を持っていると感じる。(もちろん、そうでない過激な発言をする人がネットで目立つために、誤解があることは否めないのではあるが。)
捨て犬凪と出会ったことから、ペット可のアパートに引っ越した。動物の脚に負担がかからない床になっている新築のところだったために、家賃が高く、生活は以前ほど楽ではなくなった。
凪と暮らすうちに、色んな動物問題を知り、とりわけ犬のことには詳しくなったと思う。たくさんのことを知ったころ、保健所の収容犬の画像を見ながら、「絶対に助けてやるから」と誓った。それからは署名や、環境省への意見や、動物のための寄付など、色んなことをしてきた。
そして去年、1匹のトラ子猫に出会う。そのとき、「まあ、猫ならノラでもそこそこ大丈夫だろう。」と助けなかったのであるが、その後色々調べて、はじめて猫は現代日本で、ノラではほとんど生きていけないことを知った。そのショックで非常に後悔し、その子の助けを呼ぶ泣き声が耳から離れなくなったことをきっかけに、僕は捨て猫を探し始める。少し離れた、猫が捨てられることの多い公園まで足を運んで探した。しかし、最初の1年は全く見つからなかった。
そのため、もう会わないだろうと、譲渡会で引き取ることにした。引き取るのは犬猫どっちでもよかったが、猫しかいなかった。なついてくれたことをきっかけに引取りを決めた猫は、飼えもしないのに自家繁殖させた人の猫であったが、猫に罪はないし、職員の人の話で、その人も避妊手術の必要性を知ったと思う。その子猫はオスの白猫で、ひなたと名付けた。
その直後、それは今年の6月であるが、ケガをした子猫が、「子猫をお願いします」と書いた紙を貼られたダンボールの中にいた。子猫を見つけた人が、自分は病院に連れて行けないと思い、ダンボールに入れておいたのだろう。子猫は一刻を争うような瀕死であったために、病院に連れて行った。最初は全く動けず、自分で食事をとれない子猫だったが、回復は目覚しかった。今も傷は残っているし、成長期の栄養失調のせいで、普通のオス猫平均と比べると非常に小柄ではあるにしても、とても元気にしている。
そして、今度また捨て猫に出会ったのが9月上旬。「あかり」と名付ける。ここまできて、ひなたをわざわざ引き取らなくとも、いるときはこんなにも捨て猫がいるのか、と思わされた。聞いた話、今年は特に妙な時期に子猫が多いということであったから、今年が、言い方は悪いが「当たり年」ということもあるのだろう。ひなたに会うまでは、トラ猫以来、捨て猫には会わなかったのだから。これは、もう、この子を里親に出さないと、次に子猫に出会ってももう経済的にも体力的にも拾って助けることは出来ないわけで、どんなに鳴かれようが瀕死だろうが見殺しにしなければならない。それはつらすぎる。しかし、今のペースからいくとまた出会うだろう。そう思うと「あかり」の里親を探すことにし、自分の足で家庭環境を見にいける範囲には全て募集したが、1つも問い合わせは無い。(福岡西部・佐賀東部で子猫を欲しがっている人がいましたら宜しくです。)
体力的にもと書いたのは、職業的に、忙しい日は、日に15時間も働く仕事であるからである。現在、これだけの数を抱えると寄付は出来なくなったために、保護犬の散歩ボランティアをしているが、そういうときは、そちらも休むことにしている。
ネット活動を縮小するのも、仕事プラス犬猫4匹の世話というのは難しいからというのがある。
以上、今まで書いてこなかったことと、現実の活動状況でした。