fc2ブログ

動物愛護関連の情報と、独学ピアノの記録。

公明党からのアンケート「人とペットが共生できる社会へ」

公明党が「人とペットが共生できる社会へ」というタイトルでアンケートを行っていることを知りました。
アンケート項目に、殺処分についてどう思うかや、殺処分をなくすための政策についての質問があります。たくさんの人が答えることで、国民の殺処分問題についての意識の高さを政治家の方に感じてもらえると思います。

「アンケートURL」
https://regist11.smp.ne.jp/regist/is?SMPFORM=ogn-ldtjr-e585991741d17ed8a48812f3954fc0ae

昨日の夜、ミクシのコミュ「保健所で殺処分されるペットたち」にトピ立てしたので、より多くの人に知ってもらって回答してもらうために自分のブログにも書いておこうと思いました。ミクシにて「アンケートに答えました」「転載します」というレスが次々について嬉しく思っています。
スポンサーサイト



ブルグミュラー18より「真珠」



ピアノブログでリンクさせていただいている皆様がオフ会の話で盛り上がる中、辺境の地で地味に過ごしております。

ブルグミュラー18の練習曲より「真珠」です。ブルグミュラー18の練習曲は、タイトルどおり18曲なのですが、この「真珠」は2曲目です。ピアノオーディション指定テンポ表というサイトに四分音符=56~72とあったので、丁度中間の64で弾きました。それ以上速くしても今の時点ではミス率が上がる(鍵盤に指が引っかかったり)からというのもあり。

この曲でのテクニック面で苦戦したところは、左手のスケールが弱いので、それを右手と合わせるところです。これもそのあたりが練習になるので、これからも練習前のウォーミングアップに弾いていこうと思います。モツソナKV.545も継続して、練習前のウォーミングアップに弾いているため、左手の連続スケールのところで速度が落ちないようになってきたのが嬉しい。

この曲を最初に選んだ理由は、高速スケールが美しくて印象に残ったからです。実際弾いてみると、音が抜けたり粒が揃ってないところがあります。スケールからスケールへの手の移動が難しい。最後も右手と左手がぶつかりそうになるので、何度も部分練習しました。

この曲の個人的なイメージは、「海底の神秘」。左手のオクターブ低音と和音の3拍子から、海底で人知れず起こっている生命活動、右手のスケールは海面に降り注ぐ光、それが海の中に浸透して生きている海、その光が海底の貝の奥にまで届くかのようにつくられる、つるりと輝くものを想像しました。なので、宝石店で売られているような感じではなく、静かな人知れずという感じに弾きたかったのです。それも、「真珠」の生成について調べたら、それを人工的につくり、それを取り出すためだけに貝が大量に殺され(しかもアコヤ貝千個で千個の真珠が出来るわけではないというのでそうとうなもの)、大量に捨てられて海岸で悪臭を放つことが問題になっているという話が載っていて、生きるのに必要ないところで命を無駄にすることが大嫌いな僕はうんざりした(ピアノ弾いている間くらいは人間の欲望で粗末にされる命のことは忘れていたかったが、偶然そういう説明が出てきたという)ので、真珠は人知れず静かに海の底にいて欲しかったという願いがこもったように思います。

ちなみに、海でアサリ貝を採る仕事をしている人から直接聞いた話、アサリ貝の中にも、まれな確率で真珠が入っていることがあるのだそうです。1万分の1くらいの確率だろうとか。実際の自然の偶然とはそのくらいの確率か、と思いました。

次のクラシック曲は、グラナドスの「オリエンタル」を練習しようと思います。ドラクエの方は、原曲は好きだが、弾いてみるとなぜかピンとこなかった(簡単アレンジ版といえど、あまり楽譜のせいにしてはいけないんじゃないかということと、単にピンとくるように弾けないという実力不足ではないかと思う)「戦闘」を飛ばして、「竜王」に行きます。モツソナ イ短調は7ページ中1ページ目がゆっくり弾けるようになったところ。こっちはゆっくりやるけど、ピアノ2周年の8月15日までには間に合わせたいな。とにかく、これからはどの曲も弾き逃げせず、イメージをしっかり持って弾くことが優先なので焦る気はないけれど。

そうそう、アップしてから気が付いたけど、この譜面台の楽譜、モツソナ イ短調の1ページ目ですww「真珠」の楽譜ではないw

方向性とイメージの明確度

この間のSeesaaブログに音源を置くという話の流れで、まずは、「今までの演奏音源とピアノ歴」のところに、ブルグ25の2周目の過去音源を全部アップしておきました。こういう作業はなかなかかったるいので、バイエルやらソナチネやらの音源はまた後ほど追加します。

さて、前回までの記事で考えたり、コメントをやり取りする中で気が付いたことがあります。
自分は、とにかく曲に対する自分の主観を表現したいのだけれど、それが自分の中で上手くいってないと思いこんでいたのだということです。でも、他の方々のコメントを読めば、自分で思うよりは伝わっているらしいということが分かりました。

そのように、上手くいってないと思っていた理由の中には、「こう弾きたい」というのが自分の中でかたまっていなかったり、もしくはイメージがあやふやなままに弾き逃げしてしまっていた曲も多くあったからだと感じます。とにかく今まで、「弾いて弾いて弾きまくれ!」という状態でした。もちろん、ピアノをはじめた当初から今までのその勢いは、テクニックの向上には役に立ったと思うので、それ自体がまずかったというわけでもなく、現在まではそれでよかったのだと思っています。

そして現在、それに違和感を感じてきたところなので、今後は自分の中で納得のいく演奏をするためにはどうするか、ですが、まずは、自分の中で「こう弾きたいという方向性のあるもの」や「しっかりイメージ出来る曲」があるのだから、それを弾いてみようと思っています。ただ、好きというだけでなく、「こう弾きたい」「こう弾こう」、そう思ったものほど、自分の中でも納得が行っていると同時に、皆様のコメントを読んでもよく伝わっていると実感出来ているからです。

グラナドス「オリエンタル」
スカルラッティ「ソナタL.413」
バッハインベンション13番
シューベルト「楽興の時 第3番」
ショパン「子犬のワルツ」
モーツァルト「ソナタ イ短調」→これは現在練習中ではあるが、難しいので半年くらいかかるとみている。

それと平行して、ドラクエの曲の多くを弾いていこうと。
ちなみに上に上げた曲の中でも、明確度に違いはありますが、ある程度あれば、弾いているうちに固まっていく部分もあるだろうということで。

現在の状況としては、練習中のブルグ18の練習曲「真珠」も明確であり、もうすぐアップできそうです。
本当は、今回アップしようと思ったのだが、どうも下りのスケールが汚い。

平行して、ドラクエ1の「戦闘」を譜読みしていたけれど、楽譜どおりに弾こうとすると、なんだかイマイチ、ピンと来ないので飛ばそうかと思っています。曲は好きなのに、このピンとこない感覚はなんだろうか、原曲が好きだったことを考えると、自分にはアレンジがしっくりきてないのかもしれない。

↓グラナドスの「オリエンタル」は、日本語で検索しても2件しか出てこないので知らない人も結構いるだろう。個人的なイメージは「海を渡る太古の文化とその哀愁」、風景としては「斜陽」。ふと今までの人生を振り返ればなんだかせつないってやつです。ちなみに、イメージしている当人の蒼鳥が人生を振り返るほど長生きしているかは全く別である。別だけど強くイメージすることは出来る(前回の記事のモツソナ イ短調のイメージ同様に)。どこかで人の思いを吸収してきたらしい。くたびれたおっさんを主人公に小説を書いていた頃に、それがきっかけか「蒼鳥さんは年寄りと思っていた」と言われたことがあった。何でも構わないが、ただ何故そうなるのか不思議であった。

でも、そういえば……分からんでもないかな。なぜなら、最近となると、犬の思いを強く吸収しているようだが、とりあえず、僕は犬でもないようだ。でも、犬側は人間を擬犬化してしまうという話があり、もしかしたら犬からは僕が、他の「人」以上に「犬」に、犬らしく見えているのかもしれない。人を怖がるという初対面の犬にもなつかれるようになった。僕としては、近づくほどに、自分はその対象物とは異なることに気が付くわけだが、だからこそ、その対象物が愛すべきものに感じる。その思いが犬からは、安心できる「犬」に見させているのかもしれない。

……って、何を書いているんだか!www

弾き方について納得

vicさんの記事で、「客観的に弾く&のめりこんで弾く」というのを読んで、すごく納得しました。それで頭がスッキリしたので、今日はそのことを書かせていただきます。

vicさんいわく、「世界に入り込む自分が強いか、客観的な自分が強いか」ということなんですが、自分は後者だと思いました。

今まで上手く言葉に出来なかったけれど、最近、感覚的に、「自分の中で、作者が何を感じたのかが自分の中に入ってくる曲を選ぶ」ようになってから調子よくなってきていたのです。

つまり例を出せばこういうこと、僕はモーツァルトソナタ イ短調を弾きたいと思いました。それは、モーツァルトが母親の死の直後につくった曲ということでした。僕はそれを聴いて、その情報を知って思いました。自分の母親が死んでも自分はこういう気持ちにはならないだろう。一番大事な凪が死んだときにでも、こういう気持ちにならず、別なように感じるかもしれない。けれども、モーツァルトのこの曲での気持ちが想像出来る!つまり、自分なりに「理解」できる気がする。そして、それを表現したいと思うに至りました。(どう自分なりに理解したかを文章にしてもいいのだけれど、感覚を言葉にしようとすると多大なる労力を使うし長くなるので、曲をアップしたときにしようかと思う。ただ、自分なりに理解できる気がする(他者のことなので「分かる」とは決して言わない)ということは、そのような感情を全く知らないというわけではなく、その他のときに経験したことのある感情なのだろう。)

自分はどちらかというと「客観的」に弾くほうなんだろうけど、もちろん、心情的には好きな曲を聴いて内心「のめりこむ・陶酔する」こともよくあります。でも、そのままだとどう弾いていいか分からなくなるのです。どう弾いていいか分からなくなると、ただの「どや!」(と言えるようなテクニックはなくても、テクニック偏重という意味で)みたいな演奏になってしまってたのだと思いました。そういうときに自分の場合は違和感を感じていたのだなあと。

モツソナ イ短調は自分の中で、なんとなく上手くいくような気がしてます。
テクニックが追いつけば!ww

モツソナ イ短調で一番好きな演奏動画、こんなふうに弾きたいというイメージに一番近い↓

昨日の嬉しいニュース

昨日のニュースにこういうのがありました。

以下、http://www.asahi.com/national/update/0511/TKY201005110237.html より転載。

「埼玉県飯能市の山林にペットの犬や猫の死体が多数捨てられた事件を受け、環境省は、これまで規制がなかったペット葬祭業者を登録制とする方針を固めた。ペットの「おくりびと」として法的な位置づけをはっきりさせる。動物愛護法の改正を視野に検討する。

 現行の法制度では、ペットの販売や訓練にかかわる業者は都道府県への登録が義務づけられている。だが、最近になって増えてきたペット葬祭業者は対象になっていない。全国に500~600社あるとみられているものの、法の目が届いていなかった。

 飯能市の事件をめぐって今年4月にペット葬祭業者の男が廃棄物処理法違反容疑で逮捕されたのを受け、小沢鋭仁環境相は悪質な業者を直接取り締まる法制度が必要だと判断。検討の結果、登録制導入で対応することにした。

 当初は、「ペットの死体」を明確に廃棄物扱いとし、ペット葬祭業者に廃棄物処理業の許可をとらせることも検討した。だが、この案は「国民感情にあわない」(環境省幹部)として見送った。これまでは主に「生きている動物」を対象としていた動物愛護法で、動物の死体の適切な扱い方を規定する方針だ。(長富由希子) 」

以上、転載終了。

これで、我が家の凪も、法律上でも「死んだらゴミ」ではなくなります!!
廃棄物処理業としてではなく、動物愛護法の中で規定ということが非常に嬉しいです。
この間、環境大臣や鳩山さんなどの政治家に犬猫殺処分の問題について手紙を書くという企画がミクシであったので、命が粗末にされている現状ということで、ペット葬祭業の死体遺棄事件のことも書きました。
その後すぐにこういうニュースが聞けて嬉しく思います!
また、企画に参加した人の中に、鳩山邦夫氏から返事が来たという人もいて、きちんと読んでくれているのだということも分かりました。行動に起こすことは無駄ではありません。1人1人が声を上げた結果、こうして現状を変えることが出来ます。

ちなみに、僕が動物の権利などについて熱心なことのはじまりは、凪が捨て犬だったことにはじまります。
どうやら近所のブリーダー関連の捨て犬であったのに、そういう人と同じ人間である自分を真っ直ぐに信じてくれている、そのことが今やっているような行動(たいしたことは出来てませんが)を起こさせるに至った動機です。
あの日、凪は僕と出会えなかったら、保健所の冷たい壁の中で苦しみながら窒息死(二酸化炭素は安楽死ではありません)させられていた可能性が高いのです。
今も日本中のどこかで、人間の勝手な都合で捨てられ、殺されようとしている動物達がいると思うと、1日たりともいてもたってもいられないのです。将来的に、せめてもう1匹でも保健所からもらってきたいと思っています。
  次のページ >>